松岡町の祭りと風物詩
祭りの余韻を楽しみながら川原で夕日を肴に酒を飲む。
夏から秋へ、松岡町は風流なひとときに包まれる。

地域風土へのいざない

九頭竜川の流域には、自然や水ばかりではなく独特の慣習文化や風物詩が残されている。地域の風土にスポットをあてながら、まちと人の素顔に迫る旅。
一回目は、松岡町の夏祭りと風物詩をクローズアップ!



  夏の終わりの夕暮れどき、九頭竜川の川面にやや赤みをおびた陽が落ちる。遠くから眺めると、大きな川洲に形成された深い縁がいくぶん淡い色に変わり、木々の間をうねるようにして川の水が涼し気な音を立て流れていく。
 八月も終わりに近づくと、鮎を求める釣り客たちの喧騒の時が過ぎ、松岡町にはそれと引き換えに町の人たちだけの「にぎやかな夏」がやってくる。
 町の中心部にある「天竜寺」を基点に、毎年八月二七、二八日に「御像祭」が行われるのだ。祭りとはいっても、神興や山車が繰り出し、法被姿の若者が躍動するような派手なものではない。天竜寺の境内に足を運んでお参りをし、「能」を楽しみ、立ち並ぶ夜店や屋台を行き来する、どちらかといえば地味な祭りである。それでも地元では二百年以上続いている由緒ある祭りである。
 松岡町史によると、「御像祭」は寛政四年(一七九二)七月二七日、福井藩の初代藩主、松平昌勝の百回忌の際に、昌勝の像を建立し、以後毎年忌日にその遺徳を偲ぶために「御像講」を催したのが始まりとされている。
 昔は松岡はもとより、近郷からも参詣する人が数多くあり、にぎやかな講として親しまれてきたらしい。その松平昌勝の像が安置されているのが天竜寺で、地元では御像祭の日に限って昌勝像が公開されるそうだ。
 松岡町で鮎料理「ゆう徳」を営む岩本徳保さんはこう説明する。
「昔は、御像祭に相撲大会があっての。近郷の相撲自慢が松岡町にやってきたものでした。最近じゃもう誰もやらんけどね。それでも都会に出た若者がお客さんを連れて帰ってきたり、松岡じゃ今でも八月が近づくと、お盆に帰るか、祭に帰るかがあいさつになる、身近でにぎやかな祭りです」
 その御像祭の見どころの一つは「松岡わらべ篝火能舞」。毎年二七日の夕方六時過ぎから約一時間。天竜寺境内の特設舞台で行われている。能舞は、初代藩主・松平昌勝が非常に能楽を愛好し、小鼓の名人を松岡に招いて手厚い待遇を与えて大いに楽しんだことから、今も御像祭で披露されている。
 もうひとつの楽しみは、ざっと五十軒ほど並ぶ夜店や屋台。ゆかた姿に身を包んだ若者や家族連れが、金魚すくい、ヨーヨー釣り、綿菓子、イカ焼きなど昔懐かしい夜店の前で歓声をあげる姿が祭の風情を漂わせていた。


 御像祭といえば、むかしから欠かせない郷土料理のひとつに「葉っぱずし」がある。桐の葉でお寿司をくるむところから、「油桐葉ずし」とも呼ばれる。先の岩本さんによれば、「祭や法事など、人が集まる席があるとどこの家庭でもつくるごちそう」だそうで、これも数百年近く続いている松岡の風習だという。
 そのため近所の家々には、葉っぱずしのために数軒おきに「桐の木」が植えられており、とりわけ祭りになると、一軒一軒がその桐の葉をつかって葉っぱずしをつくり、都会から祭に帰省する家族やお客、親類縁者に振る舞うのだ。
 松岡町葵に住む斉藤咲子さん(七〇歳)は、近所の友だちや従姉妹など仲良しグループ数人と今でも年に数回集まり、自宅で葉っぱずしの食事会を開く。
 「祭り、お盆、それから友達同士集まるときには必ずつくります。私ら子どものときからありましたので、作り方は親から自然に教わったものです。ただ、同じ葉っぱずしでも味は一軒一軒違うんです。もともとは桐の葉っぱにおにぎりをくるんだのが始まりと聞いてますけどね。今年の夏は、東京にいる娘が久しぶりに帰ってきて、うまい、うまい言うてたくさん食べてくれました」
 塩マスと酢めし、桐の葉があればつくれる簡単な押しずしだが、塩マスを塩出しして甘酢に数時間つけ込むとか、押しずし用の木箱の「押し具合」など、いくつかポイントがある。勧められるままに葉っぱずしを一口ほお張ってみた。塩マスの塩が適当に抜けた身の心地良い歯ざわりと、よく押しのきいた酢めしがいい具合にまとわりついて、押しずし特有の、やや甘酸っぱい感触が口の中にゆっくり広がっていく。噛むほどに味が深まり、一つ食べるとすぐにまた手をのばしくたなるのだ。
 桐の葉はだいたい夏場から十一月までが旬。しかし、中には松岡独特の葉っぱずしを全国に伝えたい一心から、独自に製品化し一年を通じて販売している人もいる。季節料理「志ぶや」を営む笹川静一さんだ。
 笹川さんは、葉を育てるのに六年かかる油桐を、現在約六〇〇本も育てている。すし飯は、米づくりからこだわり、もともと魚屋で修業を積んだ経験と、松岡町でとれる天然の鮎を使い、「鮎の葉っぱずし」という独自の押しずしを開発した。
 祭には欠かせない郷土の味は、いまやまちの特産物として全国に販売されているのだ。


  祭りが終わり、夏の暑さも一息つくと、松岡町では落ち鮎のシーズンに入る。落ち鮎とは、産卵を控えたメスの鮎のことで、塩焼きはとりわけ格別である。昔から天然鮎のポイントになっている松岡では、この時期、地元の漁師たちはかき入れどきを迎える。落ち鮎を獲るための「ころがし漁」や「さぎり漁」などが次つぎと解禁になるからだ。中でも、松岡独特の漁法といわれるのが「さぎり漁」である。
 さぎり漁は、明治の初めごろから伝わる漁法で、川の浅くなったところに川向から横一列に鉄杭または木の杭を川底に打ち、その杭の間にワラ縄を三〜五本張る。落ち鮎は、そのワラ縄に驚き、ワラ伝いに沿って出口を探して回る。漁師たちは川底にあらかじめ白い石を敷いておき、鮎がその上を通る瞬間、網を投げるのだ。鮎がワラ縄に驚いて逃げるところから、別名「威縄漁」とも呼ばれる。
 土地の人によれば、さぎり漁は全国的にも珍しく、今では九頭竜川流域にしか見られないそうだ。しかも漁師なら誰でもできるのではなく、代々受け継がれている「漁業権」のある人たちにしか認められていないのだという。
 先の岩本さんは「昔は、織物業などを営む地元の『旦那衆』の道楽ともいわれ、獲れた落ち鮎を肴に、川原で芸者を呼んで一杯やるのが土地の習わしだった」と打ち明ける。さすがに今は、芸者さんの姿までは見かけないが、それでも九月の終わり、例年よりやや遅い解禁となったある日、代々漁業権を受け継ぐ漁師さんたち数人が、威縄漁に勤しむ現場へ足を踏み入れた。
 川原に張られたテントを覗くと、獲れたての落ち鮎が炭火を取り囲むようにこんがり塩焼きにされている。鮎の脂がジュッと音をたてるたびに食欲をそそる。その中の一人、椛山義洋さんに漁の調子を尋ねてみた。
 「一回の投網でだいたい二〇〜三〇匹はあがるかね。今日?まあまあかな。この時期の鮎は、夏の鮎と違うて何にしてもおいしいんやて。塩焼きはもちろん、開きにしてもいいし、甘露煮、つくりでもOKや。鮎のこのわたに塩、酒、みりんを混ぜてウルカにするのもいい。どうれ、生きのいいところあげるさけ、ひとつ持って行ってや!」
 休日のひととき、さぎり漁を楽しみながらテントの中でボーッと時間を過ごす。椛山さんはそれが「一番の贅沢」とも言う。落ち鮎を肴に一杯やりながら、川面に映る夕日を眺めるだけで風流な気分に浸れる。
 夏から秋へ。松岡町の旬は、これからが本番である。


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